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コンピューターが診断する?




2011年2月にIBM社の開発したCognitive人工知能である「ワトソン」が、全米のクイズチャンピオン二人と対戦して勝利しました。Coginitive人工知能とは、自然言語の処理、仮説の生成と評価、自己学習と能動的な知識の蓄積の3つをすべて行うことができるコンピューターのことです。

世の中にはたくさんの「文章」があふれています。たとえばニュース記事。ランダムに選ばれたプロ野球選手の誰それが〜〜球場で最後に打ったホームランの飛距離は?などと聞かれたら、いったいどれだけの情報を「蓄積」している必要があるでしょうか?

「情報(データ)」は非常に断片的な形でいたるところに存在していて、それらは解析され構造化されないまま放置されています。その放置されているデータを自ら収集し、解析し、そして質問に対して仮説を立てて検証する、そのすべてをできるのが「ワトソン」です。

この種類のコンピューターは、ですから時間をかけて学習させていくことになります。
そして得られた知識、情報を役に立つ形で提供する。


クイズ番組の話しに戻りますが、この時、ワトソンはインターネットにつながっていませんでした。つまり今までの学習から自分の中に蓄積された情報の断片を解析することで「もっともらしい」とランキングされた回答を答えたのです。

人工知能の開発と発展は今後どんどん進んでいくでしょう。アメリカではマイナーリーグの一部の試合結果についてのニュース記事を人工知能が書いているとされています。また同じアメリカでは、星の数ほどあるデビュー前の無名歌手の楽曲を大量にクラスタライズし、90%以上の確率でどの曲が売れるかを予測することができるとされています。


コンピューターが診断する?


さて、私たち医療の世界に目を向けてみましょう。
私が医者になったばかりの頃、先輩医師がしきりに口にしていた言葉が「エビデンス」です。「その治療はどれだけのエビデンスがあるのか?」「この治療にはエビデンスがないから、やるべきではない」などなど。ある特定の医療行為がどれほど効果的とされているか、研究結果はどうでているか、そのような信頼性のあるデータをもとに医療を行なうべきだ、とする考えが(もともとありましたが)世のお医者さんに広く知れ渡り、多くの医者が「エビデンス、エビデンス」とうわごとのように唱えていた時代。そのような大きな潮流の中にいました。

当時私たち研修医は、患者に対して「治ります」と言ってはいけないと指導されました。
「治ります」ではなく、「今のあなたの病状に対して、この治療法は〜%の確率で改善が見込めます」などのように説明しろと。そうするのがエビデンスにかなった医者のやることだと。今でもほとんどの医師はこのようなスタイルを貫いているはずです。

みなさんの中には「最近の医者ははっきりとものを言わない、歯切れが悪くなった」などと感じたことがある人もいるのではないでしょうか。それはこのためです。昔は「私の言うとおりにしておけば治るんだ!きさま!誰に対してものを言っているんだ」的なお医者さんがたくさんいたわけですが、個人の確信や経験則よりもデータが重視される昨今では、そんなこと言ったらほかの医者からも叱られるわけです。


しかしここで問題なのは、今まで私たちが訓練されてきた「データを重視した医者の在り方」は、ワトソンに代表される人工知能によってあっという間にとってかわるであろうことです。目の前の患者の症状への治療法として、もっとも信頼がおける治療から順にリストすると・・・などのデータを、ワトソンであれば数秒の間に出すことができることになります。また、私は治りますか?という質問に、〜%の人が良くなっています、などと答えるのも得意のことです。


コンピューターが診断する?


もちろん、すべてがコンピューターにとって代わるなどと言いたいわけではありません。手先の細かな作業や全体を俯瞰した判断、あるいは診察手技などは、生身の人間に頼るべきこととして残るでしょう。

私がここで問いたいのは、患者さんに対して医師は今後「どのような存在」としてあれるか?という質問です。今までのようにエビデンスを重視するあり方はコンピューターに任せておけばよいのです。さらには「聞き役」という点でも、果たして人間のほうがコンピューターよりも優れているかどうかは疑問を感じる医師はたくさんいます。つまりまるで人の話を聞いていない医師はたくさんいて、それであればプログラムされたものであれ、コンピューターの相槌のほうが、はるかに「聞いてもらった」という体験があるかもしれないのです。

私たち「生身の医者」が本当に役に立つのは、もしかしたら以前のように「治ります」と断言して安心を提供する存在、あるいは治療困難な病状を抱えた人にも、感情の深い部分をくみ取って寄り添うことができる、そんな役割になるのかもしれません。

患者さんからしたら、やはり相対するのは医師であり、月に1度の診察で状態が上向いていると判断してもらえるようにセルフケアに取り組むモチベーションにもなります。そのような患者の自己治癒力を高めること、これも医師の重要な役割になってくるのではないでしょうか。

以上、人工知能の発展を知って考えたこと、でした。


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